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68年の伝統 - オーディオとファミリー

2018-03-05



Delfin Japanの最新ニュースから、製品のレビュー、イギリス・ヨーロッパ諸国の音楽情報まで、
オーディオの域に問わられず様々な情報を発信していきます。
初回ということで、満を持して日本に初上陸した英国のライフスタイルオーディオブランド、
ruarkaudioの歴史をご紹介したいと思います。



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【68年の伝統 - オーディオとファミリー】

音楽は心の拠り所である、とよく言われます。
これはruarkaudioのチームメンバー全員が共通して信じていることです。ruarkaudioは68年間、音楽と共に生きてきました。
ruarkaudioのルーツは、共同創設者であり、父でもあるブライアン・O’ルークに遡ります。
物作りに情熱を持っていた彼は、当初家具職人になる道を選びます。
1950年~60年代にかけて彼が行ったラジオやテレビのキャビネット製作は、その間に学んだ木工技術がベースとなっています。
その後、ブライアンはイギリスオーディオ業界のパイオニア達と働くようになります。
高い品質とデザイン性を重視し、また熱狂的な音楽ファンでもあった彼は1982年にオーディオ会社のDiesisで働いた後、
1985年に彼の息子アランと共にRuark Acoustics を設立します。


ファミリー

オーディオ機器に囲まれて育ったことあり、息子のアランもオーディオと音楽に強い興味を持つようになっていきました。
アランがよく思い出すのは彼がまだ十代の頃、父ブライアンの当時の職場
(Dallas Arbiter‐Fenderギターや、Sound City Professionalのアンプ、Haymanのドラムを輸入していた会社)へ行ったこと。
これを機にギターに興味を持ちバンドを結成し、クラブやパブで演奏し始めました。
その後、アランはFord&Marconiで働き始め、様々な知識やスキルを習得しますが、オーディオへの情熱は冷めることはなく、
1985年に父と共にruarkaudioを創設します。


ruarkaudioブランドの構築

自身の貯蓄でブライアンとアランはエセックスのレイリーという町に小さなワークショップ用の場所を借り、
スピーカー制作を開始しました。
デザイン、構造、メカニズム、そして音にこだわり製作を続け、オーディオファンに選ばれる会社へと成長していきます。


最初のプロダクト

14か月間に渡る試行錯誤と試作品製作の末、アランとブライアンはruarkaudio最初のスピーカー、
Sabre and Broadswordを1986年の夏に発表。
これについてアランは、とても刺激的な時期でありながら、KEF,やMission、B&W等のブランドと張り合っていくのは、
不安でもあったと語ります。
当時すでに飽和状態であったイギリスのオーディオ市場でしたが、
Sabre and Broadswordは業界関係者やディーラーからも高評価を受け、成功を収めました。


高級オーディオ市場へ進出

1987年にブライアンとアランはruarkaudioとして3つ目の製品であり、旗艦製品となるハイエンドスピーカー、
「Accolade」を発表しました。
不況からまだ抜け出し切れていない時期のイギリスで、£2,500以上の価格設定。
高いリスクがあったものの、Sabre and Broadsword同様に高い評価を得て、
ruarkaudioのハイエンドオーディオとしての地位を確立しました。


ブランドとしての成長

1988 年から1996年にかけruarkaudioは成長し続けます。
「Talisman」、や「Crusader and Equinox」 などのモデルを発表し、イノベーターとしての地位も確立しました。
特にEquinoxはリファレンス・モニタースピーカーとして新しいスタンダードを生み、世界中で高評価を受けます。
Equinoxの成功により、1996年春、ブライアンとアランは事業を拡大することを決意し、
現在地のSouthend-on-Seaに工場を購入しました。
工場の移転後、人気はあったものの古風になってきていたSabre and Swordsmanに代わる新モデルの「Icon and Sceptre」を発表。
特別な形をしたドライブユニットを使用したこのユニークなモデルで、ruarkaudioのデザイン性の高さが認知されていきました。


ブライアンのリタイア

18年間アランと共にruarkaudioの舵を取っていたブライアンですが、妻のジーンと共にいる時間を作るためリタイアを決意します。
マネージングディレクターはアランが、オペレーションディレクターは義理の息子のニール・アダムスが務めることになります。
ブライアンのオーディオとデザインへの情熱が消えることはなく、
リタイア後も2002年に他界するまで、ruarkaudioに関わり続けていました。


現在のruarkaudio

20世紀も終わりに近づいた頃、ホームシアターへ興味を持つ人が増えてきたこともあり、
ruarkaudioとして最初のセンターチャンネルスピーカー、「Dialogue One」を1997年に発表します。
その後も同系列の「Prologue」を1998年に、「Vita」を1999年に発表しました。
これらは高評価を受けたものの、フラットパネルテレビの登場により、
アランとチームメンバーは、人々の興味はもはや音ではなく映像に向いていることに気づきます。

それでもスピーカーを作り続けていたアランとニールですが、
BBCが絶えず宣伝し続けていた「デジタルラジオ放送(DAB)」が、アランに高音質ラジオを作るというアイディアを与えます。
元々ラジオファンであり、父親がキャビネット作りをしていた時代にラジオメーカーのHacker RadioとDynatronに関わっていた為、
ラジオを作るというのは必然的であったようにさえ思えたのです。

ラジオの製作は2004年に始まり、2006年にruarkaudio最初のラジオ R1が誕生します。
イギリスの新聞The Sunday Telegraphは「ラジオのアストン・マーティン」とR1を絶賛。
これこそ、アランとチーム全員がずっと達成したかった事だったのです。
2007年にはR2を発表し、イギリスの有名なオーディオ情報専門誌「What Hi-Fi?」から「Product of the Year」を受賞。
これにより、ruarkaudioはパフォーマンス、デザイン共に絶対的な地位を確立し、
ブランドとしての展望と方向性が大きく変化することになります。

2018年になり、既に23ものシリーズを発表し様々な賞を受賞しているruarkaudio製品。
今や最も上質なライフスタイルオーディオのひとつとして認められており、数々の著名人にもフォロワーがいるほどになりました。
常にruarkaudioの歴史にあったように、アランとチームは音質とデザインを何よりも大事にしています。

過去との大きな違いは、ruarkaudio製品はオーディオファンだけではなく、より幅広いカスタマーに受け入れられていることです。
その中の大多数の人は、ruarkaudioに出会って初めて、「良い音」を楽しんでいるはずです。



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